就活をしています。
就職活動をしています。
誰にでも、将来の夢があったと思います。
幼稚園でも学校でも、お正月の親戚の集まりでも、
「◯◯ちゃんは大きくなったらなりたいの?」
って周りの大人が聞くものだから、それはそれはみんな一度は考える機会を与えられてきたわけです。
私は小学生から中学生になるまで、作家になりたいと思っていました。
幼稚園から図書館に通い詰め、小学校に上がると読むだけでは飽き足らずSFや友情小説もどきを書くようになりました。
小学校6年生の時は、受験勉強もそっちのけで原稿用紙に向かい、小学生対象の文学賞に2本入選しました。
中学受験をして入った学校では、それなりに勉強についていくのも大変で、学内の文筆コンテストでも大した賞はもらえず、作家になる夢は遠ざかるばかりでした。
自宅に置いてあった「13歳のハローワーク」を開くと、こんなことが書いてありました。
13歳から「作家になりたいんですが」と相談を受けたら、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」とアドバイスすべきだろう。(中略)「作家への道」は作家の数だけバラエティがあるが、作家から政治家になった人がわずかにいるだけで、その逆はほとんどない。つまり作家から医師や教師になる人はほとんどいない。それは、作家が「一度なったらやめられないおいしい仕事」だからではなく、ほかに転身できない「最後の仕事」だからだ。
なるほど、と思いました。
それなら、若い10代のエネルギーを原稿用紙に捧げ続けるのは良くないかもしれない。
あいにく、私が当時憧れていた10代で華々しくデビューした作家たちのほとんどは、
大物作家への階段を登っていくというよりも、普通の人生を選んだように見えました。
早く世に出ることが必ずしも正解ではないのだと。
それに、女子校に進学した私は文章だけではなく言葉というツールを獲得しました。
男の子がいない環境では、
多少思っていることをそのまま言ったところで批判されることもなく、
長期的な付き合いの中でそういうキャラが確立されてしまえば、
しゃべることほど安易な自己主張もありませんでした。
高校1年生の時に、東日本大震災が起こりました。
多くのアーティストたちが、現地に赴いたり、歌を歌ったりしました。
それでも、がれきの処理は進まず、仮設住宅はなかなか建てられませんでした。
私はそれを見て、ソフトパワーの限界を知った気がしました。
少しずつ私の中から「作家」という夢は薄れていって、
行政やビジネスの一端を担うことの方が、
私の人生にとって重要だとおもうようになりました。
大学受験を終えて少し大きい世界に出てみると、すごい人はたくさんいました。
起業している友達、モデルをやっている友達、政治家を目指して人脈を広げている友達…
彼らは活躍の場を大学の外に持っていました。
大学内に目をやると、ちやほやされているのは"いい会社"に内定した人たちでした。
大企業に入ることがいいことはいいこと。そうじゃないのは悪いこと。
大手の内定をもらった人が「勝者」で、
そうじゃない人たちは「敗者」ということです。
いざ就活を始めてみると、落ちるわ落ちるわ。
夏インターンだけで10社ぐらい落ちたでしょうか。
いかに自分が凡人で、かつ、いかに就活のことを今まで何も考えてこなかったかを思い知らされました。
秋はちょっとダラけていたらチャンスはどんどん流れていって、気づいたらあれもこれも終わってたーーーということもありました。
今はだいぶ吹っ切れて、面接まで進めばこっちのもの!というだけのスキルは磨かれててきてはいます。
ここから始まる本選考にも不安はありません。
でもふと、思うことがあるんです。
11歳の私は、自分が就活すると思っていただろうか?と。
23歳のころには、もう3冊くらい本が出ていて、期待の新星とうたわれる新人作家だったはずでは?と。
ランドセルの私に、リクルートスーツの私はなんて言い訳したらいいだろうか。
先日読んだトイアンナさんの記事で、総合商社の中の人さんがこんなことを言っていました。
総合商社の中の人:就活は結局、大学生までにキャリアを決められなかった人間の「敗者復活戦」です。極端ですけどプロ野球選手、ピアニストになれる人たちは小学生からやること決めてるわけです。就活って生まれた瞬間から始まってるんだぞと。
ある程度凡庸な人だから、大学生になって初めて自らのキャリアを考えざるをえなくなり、就活をするわけです。折に触れて自分のキャリアを考える時間があったはずなのに、大学3年生や就活を間近に控えてから急に焦って「就職先」だけを考えて、OB/OG訪問をしても遅いんですよ。しかも、大体の場合、就活生にとってOB/OG訪問は就活をやっている「意識高い」自分に酔っているだけなんです。
なるほど、知らぬうちに私たちは「敗者」になっていたわけです。
アスリートやアーティストや作家といった、
好きなことでご飯が食べられている一握りの人たちこそが「勝者」で、
せこせこ就活なんぞしている我々は、
すでにもはや数段下のレベルで争っている「敗者」であるわけです。
一歩後ろに下がってあらためて眺めてみると、
「勝者」「敗者」とかしましく、
世間の上層部で争っているはずだった私たちは、
特別でもなんでもなくて、
"ただの人"なのです。
なんだか、力が抜けていくような話です。
黒いパンプスのヒールも、くるぶしからバキバキ折れていく気がします。
(いけない、地べたに座るとスカートがしわになってしまう)
しかし、私たちはほんとうにこのまま、
"ただの人"で死んでいく運命なのでしょうか。
私は、正解は"YES"であり、"NO"だと思います。
私たちは、日の丸の掲げられた表彰台に登ることはないかもしれません。
バルーンの舞う東京ドームのグラウンドで胴上げされることはないかもしれません。
ウィーンの名誉あるコンサートホールで拍手喝采を浴びることはないかもしれません。
満員のさいたまスーパーアリーナで客席に向かって笑顔を振りまくこともないかもしれません。
でも、彼らに私たちの代わりはできないんです。
私にとって、五郎丸は五郎丸でしかないように、
私の親友にとっても、母にとっても、彼氏にとっても、
五郎丸は五郎丸でしかありません。
(五郎丸は好きです。むっちゃタイプ)
http://www.nhk.or.jp/professional/
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』が長寿番組なのは、
あくまでいちサラリーマンとしてはたらく人々をクローズアップしているからだと思います。
サラリーマンにしか勇気付けられないサラリーマンがいるんだと思います。
サラリーマンにはサラリーマンにしか勇気付けられないときがあるんだと思います。
有名人やタレントには慰められない、"ただの人"にしかわからない気持ちがあるんだと思います。
だから私たちは、誰かにとってのスーパーマンを目指せばいいんだと思います。
"ただの人"としてどこまでやれるかです。
生き方で、人を感動させられればそれでいいんだと思うんです。
大層なことじゃなくても、
「電車で席を譲る」から、「巨悪と戦う」まで、
バリエーションもサイズも様々です。
その一つ一つは世界を動かすわけでも、聴衆を沸かせるわけでも、
歴史に残るわけでもないかもしれないけど、
"ただの人"なりにどこまでできるかが、何より大事なんじゃないでしょうか。
面接官をやるなんてことはもっともっと先のことだけど
私が面接官なら、
姿勢や眼差しや身だしなみや、言葉のひとつひとつに
「弊社」への情熱を感じさせる子を取りたいと思うし、
私が何かの事情でちゃんとできなくて面接官を嫌な気分にさせてしまったら、
他人の人生を30分も無駄にしてしまうことになるから。
だから"ただの就活生"なりに、
こういう私の生き方が誰かに伝わればいいな、
と思って、今日も就活をしています。
ランドセルの私に、誇れる私になるために。